
三国時代、中国本土では魏・呉・蜀の三国が覇を争っていたが、その周縁地域では独自の政権や勢力が興亡を繰り返していた。中でも遼東(現在の中国東北部、朝鮮半島北西部に隣接する地域)に割拠した公孫氏の一族は、半独立的な軍事政権を築き、魏に対して独自の外交や軍事行動を取ったことで知られる。そしてこの一族の最後を飾ったのが、公孫淵(こうそんえん)である。
彼は父・公孫康の後を継ぎ、遼東に君臨するが、その運命は中央の権力と周辺諸国との危うい均衡の中にあった。彼の野心と行動、そして滅亡の過程は、三国時代の権力構造を理解するうえで重要な視点を提供してくれる。
公孫康の後継者としての登場
公孫淵の父・公孫康は、後漢末期に遼東の太守として赴任し、混乱の中で半独立的な政権を築いた人物である。彼は曹操の命を受けつつも、ある程度独自の政治判断を行い、朝鮮半島の公孫氏支配を確立した。彼が死去したのち、遼東の実権はその子である公孫淵に引き継がれた。
当初、公孫淵は魏に対して忠誠を誓い、その体制下で「帯方郡太守」や「建忠将軍」などの官位を得ていた。しかし、その忠誠は表面的なものであり、彼の内心には遼東に独立王朝を打ち立てるという野心があった。
独立への野心と呉との接触
公孫淵は遼東という地理的条件を最大限に活用し、魏の中央政権の影響力が届きにくいこの地域において、自立的な支配体制を固めていった。軍事力の増強や独自の行政体制の整備に加え、彼は魏と敵対する呉との接触も図るようになる。
西暦229年、孫権が正式に「呉」の建国を宣言すると、公孫淵はこれに接近。孫権に対し朝貢の使者を送り、「燕王」の封号を要求した。孫権としても、魏の背後を脅かす存在として公孫淵を活用したい意図があり、これを承認し、「燕王」に封じた上で、多くの財宝や使節団を派遣した。
だが、事態は思わぬ方向へと動く。呉からの使節団が遼東に到着した際、公孫淵は突然態度を翻し、その使者を皆殺しにし、呉が贈った宝物を没収したのである。この裏切りは、孫権を激怒させたが、地理的距離のためにただちに報復することはできなかった。
この行動には二つの意味があったとされる。一つは、魏への帰順を再確認することで、自らの立場を強化しようとしたこと。もう一つは、呉を欺くことで、独立王朝の権威を高めようとする政治的策略である。
燕王の僭称と独立政権の樹立
呉との関係を断ち切った後も、公孫淵は魏の統制を完全には受け入れなかった。むしろその支配権を形式的なものにとどめ、実質的には独自の王国のような形態をとるようになる。
西暦237年、公孫淵はついに魏の命令に反旗を翻し、自ら「燕王」と称して正式に独立を宣言。独自の年号「紹漢」を制定し、自前の官制を敷いた。これは魏に対する明確な挑戦であり、もはや遼東政権は半独立ではなく、完全な反逆者と見なされることとなった。
このころの遼東政権は、人口・軍備ともに一定の規模を持ち、周辺の烏桓や鮮卑、さらには朝鮮半島の諸部族とも連携を図っていた。だが、あくまで地方政権であり、魏のような大国と真正面から戦う力はなかった。
司馬懿の遼東遠征(238年)
公孫淵の独立宣言を受け、魏の朝廷はただちに対応を協議した。その結果、当時魏で台頭しつつあった司馬懿に討伐軍の総司令としての任が下された。
司馬懿は約4万人の軍勢を率いて、238年に遼東遠征を開始した。これがいわゆる「遼東の役」である。遼東半島は山岳と河川が交錯する天然の要害であり、公孫淵は遼水の要地・襄平(現在の遼寧省遼陽市)に籠城し、徹底抗戦の構えを見せた。
司馬懿は慎重に兵を進めつつも、着実に要所を制圧し、補給線の確保を徹底した。数ヶ月に及ぶ包囲戦の末、襄平はついに兵糧が尽き、民衆の間では人肉食すら発生したという記録も残るほどの飢餓状態に陥った。
同年9月、公孫淵は司馬懿軍に対して降伏を申し出るが、司馬懿はこれを拒否し、徹底的な殲滅戦を命じた。襄平は陥落し、公孫淵はその子や一族と共に斬首され、3,000人以上の配下も処刑された。こうして、遼東における公孫氏の支配は終焉を迎えたのである。
その後と歴史的評価
公孫淵の滅亡後、遼東は魏の直接統治下に組み込まれた。しかし、彼の築いた政権や外交姿勢は、三国時代の中でも特異な存在であったといえる。地理的な独立性を活かしつつ、魏・呉・周辺異民族との間で巧みに立ち回ろうとした姿勢は、単なる反逆者とは異なる一面を持つ。
彼の失敗の要因としては、対外政策の不誠実さ、軍事力と外交力の過信、そして最終的には中央権力の強硬な軍事行動を読み誤った点が挙げられる。また、司馬懿という冷徹かつ戦略に長けた指揮官との対決になったことも、彼にとっては不運だった。
とはいえ、公孫淵の遼東政権は、三国時代における地方勢力の可能性と限界を如実に示す事例であり、その興亡の記録は、中央と地方の関係、そして「王朝」という概念の境界線について多くの示唆を与えてくれる。
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