魏による蜀漢制圧戦の詳細 ~滅びゆく英雄の国~

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蜀の終焉

三国志の終焉を告げる戦い、それが魏による蜀の制圧戦である。この戦いは西暦263年、魏の名将・鍾会と鄧艾によって指揮され、蜀の中心地である成都の陥落をもって蜀漢が滅亡するに至った。英雄・諸葛亮が築き上げた蜀の国は、彼の死後も幾度となく北伐を企てたが、ついに魏の大軍に屈する形で幕を下ろす。ここでは、この戦いの背景から経緯、そして蜀の最後の抵抗までを詳細に辿る。


■ 背景:魏・蜀・呉の三国均衡の崩壊

西暦220年に曹丕が魏を建国して以来、魏・呉・蜀の三国はそれぞれに覇を唱え続けていた。蜀は劉備の死後、諸葛亮が丞相として国家運営と北伐に心血を注いだが、234年の五丈原の戦いで彼が没すると、蜀は大きく舵を失う。

その後、蒋琬や費禕、姜維らが後を継いだが、国力の違いは歴然としていた。特に姜維は北伐を継続したものの、成果に乏しく、かえって国内疲弊を招く要因となった。一方、魏では司馬懿一族が台頭し、司馬昭の時代には政権をほぼ掌握、国力も安定しつつあった。こうした状況下で、魏は蜀への本格的な侵攻を決断する。


■ 魏の侵攻計画と主将の布陣

蜀漢制圧の作戦は、魏の司馬昭によって計画された。この作戦の主眼は、「三方から蜀を圧迫し、一挙に首都成都を攻略する」というものである。主力を担うのは以下の人物たちであった。

  • 鄧艾(とうがい):西から険しい陰平道を通って奇襲し、漢中を迂回して成都へ向かうという大胆な作戦を担当。
  • 鍾会(しょうかい):正面から漢中に進攻し、蜀の主力を引きつけつつ、敵を分断させる役割。
  • 諸葛緒(しょかくしょ):補助部隊として漢中周辺を固める。

魏は数万とも言われる大軍を動員し、同年秋に遠征を開始した。


■ 蜀の迎撃体制と姜維の苦悩

この侵攻に対し、蜀の主将である姜維は必死の抵抗を試みた。彼は劉禅に進言し、全軍を挙げて漢中防衛を最優先とすべきことを主張。かつて諸葛亮が築いた要衝・剣閣に立て籠もり、そこで鍾会軍を迎え撃つ構えを取った。

姜維は剣閣の険峻な地形を活かし、鍾会軍を押しとどめることに成功する。魏の軍は何度も攻撃を仕掛けたが、蜀軍の守備は堅く、正面突破は叶わなかった。

しかし、ここで大きな誤算が生まれる。それは鄧艾の奇襲進軍である。


■ 陰平道の奇襲:鄧艾の歴史的行軍

鄧艾は数千の兵を率いて、人も通れぬような険しい陰平道を進むことを決断した。この道は深い山岳地帯を通る過酷なルートであり、兵糧の補給も困難な命がけの作戦であった。

ところが、この奇襲が見事に成功する。蜀はこのルートからの侵攻を全く予測しておらず、成都方面の守備は手薄であった。鄧艾は蜀軍の抵抗を受けることなく、わずか数日のうちに蜀の要衝・綿竹(めんちく)を占拠し、ついに成都を目前にする。

このとき、蜀の将軍である**諸葛瞻(しょかつせん)**が迎撃に出るが、準備不足と兵力差により敗北し、彼とその子・諸葛尚も戦死する。これにより蜀は中枢部を防衛する力を失った。


■ 成都の陥落と劉禅の降伏

鄧艾が成都に迫ると、もはや蜀に残された選択肢は極めて限られていた。姜維は剣閣にいたが、彼の軍は鍾会と対峙したままであり、成都には戻れなかった。

成都の内部では、戦意を失った群臣たちが皇帝・劉禅に降伏を勧める。劉禅は一族と共に城を開き、鄧艾に降伏することで蜀の滅亡を選んだ。これが西暦263年冬、蜀漢の正式な滅亡の瞬間であった。

このとき、劉禅は「安楽公」に封じられ、魏に護送される。彼はその後、洛陽で穏やかに余生を送ったとされる。


■ 鍾会の野望と蜀軍残党の最期

一方、剣閣にいた姜維はこの事態を知ると、なんとか蜀の再興を模索した。彼は鍾会と密約を交わし、共に魏に反旗を翻すという謀反を企てる。鍾会もまた、自らの野望を叶えるために一度はこれに同調した。

しかし、この反乱計画は魏軍内部に察知され、逆に鍾会は兵士たちに殺害されてしまう。姜維もまたこの騒乱に巻き込まれ、最期は剣を取って戦い、壮絶な戦死を遂げた

こうして、蜀漢という一国を担った者たちは次々にその命を落とし、再起の夢も潰えることとなる。


■ 結語:蜀漢滅亡が意味するもの

魏による蜀の制圧戦は、単なる軍事作戦ではなく、三国志という一大叙事詩の終章にふさわしい戦いであった。蜀は、劉備・諸葛亮という理想を掲げた国家であり、小国ながらも正義と信義を貫こうとした。

その理想が現実の前に崩れたのが、この263年の戦いである。そして、蜀の滅亡は同時に「三国時代の終焉」へとつながっていく。わずか2年後の265年には、魏もまた司馬炎によって簒奪され、晋が建国されることとなる。

三国志の幕は、英雄たちの夢と血によって静かに閉じられたのである。

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