孟達

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孟達の生涯とその活躍

孟達(もうたつ)は、中国・三国時代の武将であり、蜀・魏に仕えた人物である。彼の生涯は裏切りと策略に満ちており、最終的には悲劇的な結末を迎えた。ここでは、彼の活躍と主要なエピソードを戦の名称や具体的な戦闘内容とともに詳述する。

蜀漢に仕える

孟達はもともと荊州に属し、劉璋に仕えていたが、劉備が益州を平定した際にこれに従い、蜀漢の一員となった。劉備の信任を得た彼は、法正らとともに魏との戦いにおいて活躍した。

樊城の戦い(219年)

孟達の名が歴史に残る戦いの一つが「樊城の戦い」である。この戦いは、関羽が荊州から魏の樊城を攻めた戦いであり、当初は蜀軍が優勢であった。しかし、孫権の裏切りによって形勢が逆転し、関羽は最終的に捕らえられ、処刑された。

この戦いの中で、孟達は関羽とともに魏の曹仁が守る樊城を攻めた。しかし、関羽が孫権に裏切られた後、孟達は関羽に対する支援を断念し、自らの保身のために劉封とともに退却した。関羽の死後、劉備は孟達の行動を問題視し、責任を追及しようとした。これに恐れをなした孟達は、魏に降伏する道を選んだ。

魏への寝返り

孟達は魏に降伏した後、曹丕の信任を得て新城太守に任命される。曹丕は彼を厚遇し、彼を魏の重臣の一人として扱った。蜀にいた頃よりも高い地位と待遇を得た孟達は、魏の武将として新たな人生を歩み始めた。

西暦220年の魏の南征

曹丕が魏の皇帝となった220年、魏は蜀への侵攻を計画した。孟達はその一翼を担い、荊州方面の防衛と攻略に関与した。彼は蜀軍の動きを熟知していたため、魏の戦略立案に大きく貢献した。

最期の戦い――孟達の乱(227年)

孟達の転落は227年に起こる。曹丕の死後、魏の皇帝となった曹叡の時代になると、孟達は魏国内での立場が不安定になっていく。彼は蜀の諸葛亮と密かに連絡を取り、魏を裏切る計画を立て始める。

孟達の反乱(227年)

孟達は蜀と連携し、魏に対する反乱を企てた。しかし、この計画は魏の名将・司馬懿に察知され、司馬懿は迅速に軍を動かし孟達の討伐を開始する。

孟達は魏に対して防戦を試みるが、司馬懿の電撃戦により孟達の軍は各地で敗北。孟達自身も包囲され、最終的には捕らえられて処刑された。彼の死によって反乱は鎮圧され、孟達の野望は潰えた。

まとめ

孟達は、三国時代において戦場で活躍したものの、裏切りを繰り返した武将であった。そのため、彼の最期は裏切りの報いとして悲劇的なものとなった。蜀から魏へ、そして再び蜀に戻ろうとした彼の運命は、三国志の中でも特に波乱に満ちたものであった。

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