
三国志の時代において「合肥(がっぴ)」は、魏・呉の勢力が激しく争った戦略的な要衝であり、多くの合戦が繰り広げられた場所である。合肥は現在の安徽省合肥市付近に位置し、淮河と長江の中間にある交通の要地である。特に曹操が支配する魏と孫権の呉の間で繰り返された一連の戦いは、魏・呉の勢力図を左右し、両陣営の軍略・戦術の粋がぶつかり合った象徴的な戦場として記憶されている。以下では、特に有名な「合肥の戦い(208年、215年、234年など)」の中でも、最もよく知られた「張遼の奮戦」で名高い215年の戦いを中心に、その他の関連する戦役にも言及しながら、詳細にその背景と経過、意義を解説する。
背景 ― 魏と呉の対立
曹操は官渡の戦いで袁紹を破ったのち、北方の統一をほぼ成し遂げ、南に目を向け始めた。一方、孫権は父・孫堅、兄・孫策の後を継ぎ、長江流域に強固な勢力を築きつつあった。208年の赤壁の戦いで曹操は孫権・劉備の連合軍に敗れたが、その後も江南に対して圧力を強めていく。
合肥は、曹操が荊州・揚州方面への軍事的進出のために設けた重要拠点であり、魏にとっては南下政策の前線基地、呉にとっては北への膨張を阻む障壁であった。そのため、両陣営がこの地をめぐって激突するのは必然であった。
215年の合肥の戦い ― 張遼の奮戦
この戦役は、『三国志』魏書張遼伝および呉書孫権伝などに詳細に描かれている。時は建安20年(西暦215年)、曹操が漢中の張魯討伐に出征している隙を突いて、孫権は7万ともいわれる大軍を率いて合肥へ進軍した。
合肥の守将は張遼・李典・楽進の三人であったが、曹操は出征の際に張遼へ密命を残していた。
「孫権が攻めて来たら、張遼と楽進はまず出撃して敵を破り、李典は城の守りに専念せよ。」
この命に従い、張遼は僅か数千の兵を率いて奇襲を敢行する。この張遼の奇襲戦こそが、後世に語り継がれる「張遼七千の兵で孫権七万を破る」伝説である。
張遼の勇戦
張遼はわずか800名の精鋭を選抜し、夜明けとともに呉軍の本営へ奇襲をかけた。この急襲により、呉軍は大混乱に陥り、孫権の側近たちも多数討ち取られる事態となった。孫権自身も命からがら戦場を離脱し、戦意を削がれた呉軍は包囲を解いて退却することとなった。
この戦いでは、張遼の勇猛さと判断力、そして李典・楽進との協力体制が光った。とくに李典と張遼は個人的に不和があったとされるが、この戦いに際しては国家のために協力したと記されており、忠義の精神を象徴する逸話として称えられている。
その他の合肥の戦い
合肥の戦いは215年に限らず、以後も魏・呉間で繰り返された。
208年の戦い
赤壁の戦いの直後、曹操は南征を企図して合肥に進出。しかし、孫権はこれに備えて軍を展開し、大規模な衝突には至らなかったが、合肥が既に緊張の最前線であったことを示している。
234年の戦い(合肥新城の戦い)
この年、蜀の諸葛亮が五度目の北伐を行っているのと同時期に、孫権は魏の注意を蜀から逸らすため合肥新城に攻め寄せた。しかし、魏の新たな守将・満寵(まんちょう)は巧みに守りを固め、城を攻略させなかった。孫権軍は疫病や兵糧の不足により退却を余儀なくされた。
この戦いでは、張遼のような派手な突撃戦はなかったものの、満寵の防御戦術が高く評価されており、魏の防衛能力の高さを示す一戦となった。
合肥の戦略的重要性
合肥がこれほどまでに争われた理由は、以下の三点に集約される。
- 地理的要衝:合肥は長江以北、淮南地域を抑えるための交通の要衝に位置しており、江北への進出拠点、また江南防衛の障壁として機能した。
- 補給・通商の拠点:戦争は兵站が命であり、合肥を制することで長江水系を利用した補給線を確保・遮断できた。
- 政治的・象徴的意味:魏と呉、両国にとって「合肥を制することは敵に対する優位を示す」象徴的な意味も持っていた。
人物たちの光と影
この合肥をめぐる戦いで特に名を高めたのが張遼である。『三国志』魏書張遼伝では「威震江東(江東を震えさせる)」とまで称され、その名声は呉の地でも広まり、張遼が名を挙げると子どもたちが泣き止むという逸話すら残されている。
一方、孫権にとっては数度にわたる合肥攻撃は苦い結果となった。赤壁以後の戦果が乏しく、蜀との連携も不安定になるなかで、魏への圧力を試みたが、合肥の堅牢さの前にことごとく退けられた。
結語 ― 合肥に見る三国志の真髄
合肥の戦いは、単なる一地方の戦闘にとどまらず、三国時代における戦略・戦術・人間関係・政治的駆け引きなど、あらゆる要素が交錯するドラマであった。張遼の勇戦、満寵の守勢、孫権の野望、曹操の策謀といった各人物の光と影が交錯し、歴史を動かした。
この地での戦いは、魏と呉の国運を左右しただけでなく、三国志という物語の中においても、戦乱の時代における人間の知略と勇気の極致を描く、まさに象徴的な舞台であったと言えよう。
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